
27日、日曜日になりますが、まず
小國神社に伺いまして、時間に余裕がありましたので、この地区の神社・寺院を伺ってみることにしました。
まず伺ったのが
橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)です。
橘谷山 大洞院・・・静岡県周智郡森町橘249
地図はこちら

もちろん、その名前だけは存じておりましたが、伺うのは今回がはじめてです。
この写真の橋は、
龍門橋といって、この橋の擬宝珠(ぎぼし)8本は、町指定文化財だそうです。

場所としましては、
小國神社から7キロほどの場所で、さらにさらに山の奥に進んだ場所で、自然豊かでした。
秋の紅葉の季節には大勢の人達が訪れるそうですね。

大洞院は、
全国に3400余の末寺を持つ曹洞宗の古刹でもありますし、新東名の森掛川インターチェンジが出来たことですし、今年の紅葉のシーズンは大変な賑わいになるかもしれませんね。

また、勝負運、子授け、厄除けの寺院としても有名なのだそうです。
この本堂には、
麻蒔地蔵尊(まさあきじぞうそん)が祀られています。
脇仏には千手観音菩薩が祀られており、
ねずみ年の人を一生涯守ってくれるそうです

こちらの建物は、
僧堂(そうどう)といい、座禅堂、雲堂とも呼ばれる寺院の
七堂伽藍(しちどうがらん)のひとつで、雲水(禅宗の修行僧)の修行する道場だそうです。

この写真は、
鐘樓堂(じょうろうどう)
600年余前に建造されたものの、3度の火災で焼失し、第二次世界大戦では
供出し、現在の鐘は昭和24年に鋳造されたもの、堂は明治9年に再建されたものだそうです。

この写真は、
鎮守堂(ちんじゅどう)
恕仲天誾禅師が三河の小松原の観音堂に参籠中のある夜、老人が現われ
「御僧の願う勝縁(しょうえん)の地は東方遠州飯田の郷なり」と告げました。
後に飯田にいたり寺を建立したのが、現在の
宗信寺(そうしんじ)、次いでこの
大洞院を建立し、この霊験により馬頭観世音菩薩を鎮守としたそうです。

そして、なんと言ってもこの
大洞院で有名なのは、門前に
森の石松の墓があることですよね
何故門前かというと、”ヤクザ”という理由から敷地内ではなく門前になったのだそうです。

石松の墓石の欠片を持っているとギャンブルに勝てるという話が広まったことがあったそうで、石松の墓は何度も作り直されているそうです。

今回、石松について簡単に調べてみたのですが、驚いたことに、
石松は架空の人物で、実在しなかったという説があるのだそうです。(逆に言うと実在したという決定的な根拠もないという話ですが・・・)
また、この大洞院以外にも”石松の墓”を主張する場所があり、しかもどれが本当の石松の墓であるか解明されていないらしいのです。
でも、自分は単純に思います、もし架空の人物ならばヤクザを理由に敷地内ではなく門前に墓を建てただろうか?と・・・
実在し、しかもこここそが正墓であるからこそ、門前に建てられたという結果となったのではないだろうか?と・・・